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横浜地方裁判所小田原支部 昭和46年(ワ)240号 判決

原告

小菅光雄

外三名

右四名訴訟代理人

宮崎保興

外一名

被告

平井昭典

右訴訟代理人

藤井暹

外三名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因1(一)の事実は、〈証拠〉によりこれを認めることができ、同1(二)の事実は当事者間に争いがない。

二被告本人尋問の結果によれば、訴外亡小菅嘉子は、昭和四二年一〇月七日、被告医院において被告の診察の結果妊娠の診断を受け、その後ほぼ継続的に被告医院に通院し、被告の指示で入院して分娩するに到つた事実が認められ、これによれば、右嘉子と被告との間に黙示的に診療契約が成立しているものと認められる。尚、〈書証〉によれば、右契約は国民健康保険法による保険診療と認められるが、ここにおいても診療契約は、患者と療養取扱機関たる当該医師との間に成立するのであつて、患者と保険者との間に成立するものではない。そして、右契約は準委任契約であり、被告は右嘉子に対し同契約上の債務を負つていると解される。

そして、請求原因2(二)の事実は、分娩時刻の点を除いて当事者間に争いがない。

三次に、右嘉子の分娩時及びその前後の経過並びに被告のとつた処置につき検討する。

1  分娩のための入院までの経過

〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

(一)  嘉子は、原告小菅雄一郎、同小菅英二郎をいずれも平井医院で出産し、右英二郎出産に際しては、陣痛微弱、会陰裂創二度弛緩性出血の症状があり、右両名の出産時の体重は、約三、六〇〇グラムであつた。

(二)  被告は、昭和四二年一〇月一三日の診察の際、嘉子の訴で性器出血を知り、これに対しプロルトンを投薬し、以後同月末までに数回その治療を続けた。性器出血は微量であり、その後分娩まではない。

(三)  昭和四三年二月二三日(妊娠八カ月)、血液検査の結果、赤血球数二六八万、血色素五五%で貧血が認められたので、ヘモリンB一二、二号二ミリリットル、フエログラ二錠を投与し、同年四月一五日まで同様の治療を続け、同月二六日(妊娠一〇カ月)、ヘマトクリット値三六%となつた。

(四)  分娩予定日前後に足にむくみが出ており、同年五月七日及び同月二〇日の診察ではいずれも浮腫が認められた。

(五)  同日の診察においては腹囲一〇二センチメートルであり、同日まで陣痛誘発剤であるゲブルトン六錠を与えた。

(六)  翌二一日夕方、嘉子は、被告の勧めによつて平井医院に入院した。

2  分娩及びその後の経過

〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。

(一)  嘉子は、入院した翌日である昭和四三年五月二二日午前九時に分娩室に入り、同日九時三〇分より陣痛誘発のために五パーセントのブドウ糖五〇〇ミリリットルにアトニン〇五単位を点滴注射し、その結果午前一一時三〇分に陣痛が規則正しく発来し、子宮口は五指開大していた。午後〇時、子宮口全開大して破水し、午後〇時三〇分、吸引分娩により胎児を分娩し、娩出直後の出血はなかつた。

(二)  新生児は、体重四、六五〇グラムの巨大児であり、娩出時アプガー指数六の仮死状態にあつたが、酸素吸入二分で蘇生した。

(三)  午後〇時三五分、胎盤娩出し、この時から出血が始まり、午後〇時四五分ころ出血が多くなり、これを発見した被告は、子宮収縮剤であるメテルギン一ミリリットル二本を静注し、陣痛促進のため使用していた点滴の三方活栓を利用して、代用血漿であるマクロデックスD五〇〇CC、プルトゲン五〇〇ミリリットル、止血剤アドナ二五ミリグラム五ミリリットル二本を静注し、同時に助産婦の訴外更級幾子に、小田原市内にある小西薬局へ輸血用血液を取り寄せるよう命じた。

(四)  右の処置によつても出血が止まらないため、被告は、胎盤残留による出血を考えて胎盤の残存を調べたが、胎盤の残留は認められず、次に子宮の双手圧迫を試みたが止血せず、子宮内に強填タンポンを施した結果、やつと出血は止まつたが、この間に約一、五〇〇ミリリットルの血液が流出していた。

(五)  右流出した血液が凝固しないことから、被告は午後一時頃前記更級に命じて血液凝固検査を実施したところ、血液凝固時間が著しく遷延していることが判明したので、フイブリノーゲン欠乏血症と判断してフイブリノーゲン一グラム二本を順次溶解して静注した。

(六)  以上の処置にもかかわらず、止血後も血圧は下降し、午後一時五〇分ころ、輸血用血液が到着し、直ちに輸血を開始したが、ショック状態は強く、午後二時三〇分嘉子は死亡するに至つた。

(七)  被告は、右の処置をした際に血圧の下降に対し、昇圧剤であるノルアドレナリン及びネオシネジンを使用した。

以上の各事実が夫々認められる。而して、右の経過中、分娩時刻及びフイブリノーゲン使用の点につき、原告らは、その認定について重要な証拠となる乙第四号証は、本件訴訟前になされた証拠保全手続において提出されておらず、その内容は措信しがたいものであり、分娩時刻については、〈証拠〉によれば二二日午前一一時三〇分であり、また、フイブリノーゲンについては、本件出産に関する保険請求中に記載されていないこと及び証人込山栄一の証言中同人が被告にミドリ十字の薬が効くと言つたが明確な応答がなかつたことから、使用されていないと推認される旨主張するが、まず時刻の点については、〈証拠〉によれば、前記証拠保全申立の疎明資料として提出された母子健康手帳記載の分娩の時間的経過と乙第四号証のそれとは一致しており、証拠保全手続後の改竄は考えられず、また出産における時間的経過の認識の正確性について、診断及び後日の記録記載の必要性の点から見て医師である被告の供述の方がより正確性が高いと考えられ、さらに、フイブリノーゲンの使用については、前記証人込山栄一の証言によれば、同人が「ミドリ十字の薬が効く」と言つた際に、被告は「非常に高価な薬を使つた」旨答えていること、及び、〈証拠〉によれば、医薬品会社から被告に対し本件分娩後である昭和四三年六月七日にフイブリノーゲン二本の代金請求がなされていることの各事実が認められ、これに〈証拠〉を併せ考えると、フイブリノーゲン使用の事実を認めることができる。

3  昭和四三年五月当時の輸血用血液供給体制及び本件における輸血用血液確保の方法について

〈証拠〉によれば以下の事実が認められる。

(一)  昭和四三年当時一般診療所が保存血を備蓄することは認められておらず、平井医院の所在地においては、献血により採取した血液は横須賀赤十字血液センターから小田原松田地区担当の供給委託指定店である株式会社済生堂小西薬局に送られ、各医療機関が必要に応じて同店より取寄せるという体制をとつており、また当時は全体の供給数が献血数を上まわつており、必ずしも十分な供給をなし得る状態ではなかつた。

(二)  また、当時右小西薬局において輸血用血液を配達することのできる人員は一、二名しかおらず、血液配達に長時間を要することがあつた。

(三)  本件においては、午後〇時四五分ころ、被告の指示によつて助産婦の訴外更級幾子が前記小西薬局へ電話でB型血液の配達を依頼したところ配達員が出かけていてすぐに配達することができないとの返答であり、近くにある足柄上病院に問い合わせたところB型血液はないということであつた。そこで被告は原告小菅光雄に小西薬局まで取りに行つてもらうことにし、右更級を通じて原告小菅光雄にその旨依頼し、同人が小西薬局に行き血液を持つてきたが、平井医院に血液が到着したのは午後一時五〇分ころであつた。

(四)  被告は、右保存血取寄の時点においては、消防署や警察に運搬を依頼しても、管轄の制約があつて引継ぎ等に時間を要し、必ずしも短時間に持つてこられるとは考えられず、また、その場にいる者から採血してそれを輸血することは、病院の職員にB型の血液型を有する者がいないし、他に供血者を探して諸検査をするのでは相当の時間を要すると考え、前記(三)の手段をとつたものである。

四ここで前記の経過について被告の過失あるいは責に帰すべき事由の有無を検討する。

1  分娩前において、分娩時に大量の出血が予測されるような症状が認められるならばこれを改善すべく処置し、分娩に備えて保存血の用意をする等の義務があるというべきであるが、本件においてはこれに該当するような症状が存在したとは認められない。

すなわち、前記認定の各事実を鑑定人大須賀啓暢、同高田道夫の各鑑定の結果に照らして検討すると、いずれも以下のごとく分娩時の出血を予測すべき事由は見出せない。

(一)  強度の妊娠貧血が存在すると、出血時の抵抗力が弱く、血液凝固能にも影響を及ぼすものであるところ、嘉子の妊娠中の貧血は中等度以下のものであつて、しかも分娩前に正常域に復帰している。

(二)  微弱陣痛であると子宮の収縮が不十分であり、弛緩性出血に結びつく可能性があるが、これは主として陣痛が微弱なため分娩が遷延した場合に結びつくものであつて、本件では分娩の誘発、誘導が成功し、約三時間で分娩が終了しており遷延分娩とは認められない。

(三)  体重四、〇〇〇グラム以上を通常巨大児と言い、本件胎児は中等度の巨大児と言えるが、巨大児であるからと言つて必ず分娩時に大量の出血があるとは限らず、巨大児故に分娩が遷延した場合に弛緩性出血と結びつくものであるが、本件が遷延分娩でないことは前記(二)で述べたとおりである。

(四)  本件では分娩直前に浮腫が認められるが、これは妊娠中毒症の一要素にすぎず、妊娠中毒症は必ずしも大量出血に結びつくものではない。

(五)  嘉子の死因は、後述のごとく幡種性血管内凝固症候群(D・I・C)によると考えられるが、これを分娩前に予測することは極めて困難である。

2  分娩後において出血を発見した場合、医師としては早期にその原因を発見し、迅速な止血措置を行うと共に、出血量、血圧その他産婦の状態によつては時期を失することなく輸血等の措置を講ずべきであるが、前記認定の事実を前掲各鑑定の結果に照らして検討すると、以下の理由によつて被告に右の点に関する落度は認められない。

(一)  胎児娩出後の出血の原因となるものとしては子宮筋の収縮不全、胎盤の遺残、血液凝固障害が考えられるが、本件においては胎盤の遺残はなく、弛緩性出血に対する処置により止血はしたが、その後も血圧が下降していることから単なる子宮筋の収縮不全による弛緩性出血とは認められず、出血後の血液凝固検査の結果凝固時間が著明に遷延していること、出血開始より不可逆性ショックに到るまでの時間が極めて短かいこと、及び急激に出血し約一、五〇〇CCの失血により死亡していることを併せ考えると、播種性血管内凝固症候群(D・I・C)による消費性凝固障害または低線維素原血症と考えられ、しかもその経過が急激であることから、弛緩性出血による大量出血に起因するそれではなく、急性型のD・I・Cと考えられる。

(二)  D・I・Cは、現在では、これを起す原因物質については必ずしも十分に解明されてはいないものの、その基礎理論、即ち、組織トロンボプラスチン活性の亢進により血管内において血液が大量に凝固し、そのために一方では血液凝固因子が多量に消費されて血液の凝固能が低下し、他方で凝固した血液を溶解すべく生体反応がおこり、血栓溶解性出血が発生することが明らかにされ、その治療法と共に広く一般の医師に知らされているが、昭和四三年当時においては、その基礎理論及び治療法は未だ確立しておらず、一般の医師にもその存在は十分に知られていなかつたものである。

(三)  右の血液凝固障害に対しては、フイブリノーゲンの投与と大量の輸血が有効であるところ、本件において被告は、右血液凝固障害についてフイブリノーゲン欠乏血症という名である程度の理解を持ち、フイブリノーゲンを常備して、これを使用したものである。

(四)  輸血用血液の確保については、前記認定の経過からみて、被告がその手配をした時期が遅かつたとはいえず、また前記認定のごとき血液供給体制の下にあつては、被告の選んだ確保の方法も不適当とは言えず、また、供血者を探して採血する方法は、本件の場合、同じ血液型の者が医院に待機していた訳ではないので、同じ血液型で採血可能な健康状態にある者を探し出して医院に呼び集めることが必要であり、さらにその者らから血液を採取し、その血液を検査することが必要となるのであつて、以上のことをするには血液検査を必要最少限度にとどめるとしても、相当の時間を要し、保存血取寄よりも有効な手段であるとは断定できない。

(五)  被告は嘉子が出血性ショックに陥り血圧が低下している際に、昇圧剤であるノルアドレナリンやネオシネジンを投与しているが、現在では、ショック状態においては毛細血管が収縮しており、昇圧剤はこれをさらに押し進める働きがあること等の理由からショック時の使用は適当ではないと言われており、この点で被告の処置は問題となるが、右のショック時における昇圧剤の使用についての理論は本件当時においては未だ一般開業医の間において十分な理解が得られていない状況にあつた。

3  以上述べたとおり、本件における嘉子の死は、本人及び遺族にとつて誠に不幸な結果ではあるが、その結果を回避すべく、被告は、当時の医療水準に照らし、十分の措置を講じており、これについて被告の過失は認められず、また、その結果は、被告の責に帰すべからざる事由によつて生じたものと言わざるを得ない。〈以下、省略〉

(石垣光雄 人見泰碩 栗田健一)

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